企業の研究開発における技術伝承のありかた

想定読者 製造業の研究開発に携わる研究者

日本の製造業がかつて世界を席巻したというのは本当の話だろうか。そうだとしたら、日本の製造業の研究開発のレベルはかつてより低下してしまったのではないか。

民間企業の研究所は競合に打ち勝ち利益を上げられるような優れた新商品、新技術を生み出すための専門家集団だ。専門分野ごとに様々な研究者がいて、広範な領域の高度な技術を統合してひとつの素晴らしい商品を生み出す。研究者たちには日々の実験作業を支える助手がいて、研究者は技術の高度化と課題解決に集中する。助手たちは実験作業の手技レベルを向上させることで職人技ともいうべき繊細な実験を行い、新発見の端緒をひらく。そんな研究所を維持できている企業が、いまどれだけあるだろうか。

平成の30年間に人が減った。助手たちは事務系の一般職と同じように派遣労働者に転換された。わずか数年で職場を去る派遣労働者に技術を教えて、信頼できるまでに育ったころにはさようなら。これで職場から職人技が消えた。いわずもがな研究者も減らされた。論文ほど詳細に手順が記されているわけではない社内報告書を読んだところで失われた技術を復元できるわけではない。人がいないのだから、かつては助手がやっくれていた作業も研究者がやるようになった。グローバルな競争のおかげで商品開発の現場に対する要求が弱くなることはないというのに、研究者が商品開発に集中できる環境は減らされている。

日本の人口が減り続けるのだから、かつてのように人的資源が豊富に手に入ることは今後ない。そうであるならば、効率的に技術が伝承され、知見が共有されるシステムを構築して、現役の研究者たちが浪費している時間と費用を削減するほかない。働き方改革をお題目では済まされない。


これまでの技術伝承や知見の共有が効率的でなかったのは、形式知化されていなかった点が大きい。何かあれば詳しい研究者本人に聞きに行けばいい。報告書は成果を上層部にアピールすために書く。詳細な部分は書いてもアピールにならない。自分の暗黙知を文章に起こす時間があれば、その時間を次の商品開発に使った方が効率的だ。人ひとりが持てる知識や技術の量が有限だったとしても、人がたくさんいれば解決する。このような状況で人減らしを行えば、職場を去った人の数だけ技術が失われるのも当然だ。

先人たちの考え方にも一理あるが、暗黙知を形式知に転換するのに要する労力が馬鹿にならない。伝える相手のレベルがわからなければ、どこまで書きおこせばいいいのかわからない。大学で使うような教科書をつくれというのだろか。そんなことはできない。
ここで私が提案したいのは、かつて自分がいまの職場に来たときを思い出し、新人の自分に対して教えるように書くことだ。そこで暗黙の了解とできることであれば、他者が新人の立場でも同じような事柄をすでに身につけているとみなせるだろう。さらに、自分の次の新人が共有できない前提があったとしも自分はそれを説明できるはずだ。そうやって新しい人が来るたびに情報を追加していけば、たいていの人に伝わる内容になるだろう。

書く内容のレベルが決まったとしても、書くべき内容は膨大にあるように思われる。ここで気持ちを萎えさせずに思い出してほしい。自分ですべて書く必要はないことを。他者の文章を剽窃しろというわけではなく、他者の文章を読んで済むなら引用するなり参照するなりすればいい。学部生が勉強するような内容は教科書を読めばいい。ただ、どの教科書を読めばいいのか、何という名前の概念を理解すればいいのかは書いておこう。学ぶ必要はあるが、迷う必要はない。

忙しい中でまとめた資料が使われずに忘れらていくとしたら、そもそもそんな資料を作るべきでなはない。普段の業務を効率化するチートシートや、自習用の資料のような立ち位置で同僚に利用してもらえるような内容を盛り込んでいこう。

最も重要な点は、利用者に資料を改善させられるようにしておくことだ。利用者が不足していると感じた情報をすぐに追加できるようにしておく。内容に誤りがあれば修正できるようにしておく。ここまでくれば、もはや個人のみならずチーム全体の知恵袋として価値を発揮しはじめる。

これが私の考える「暗黙知を形式知へ転換する」ということ。Wikipediaの社内版というイメージがわかりやすいだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください