エネルギー転換への一里塚 九州における太陽光発電出力抑制

2018年10月の土日に、九州の太陽光発電に対して出力抑制がかかった。その規模なんと93万kW、最新の原発1基分に相当する。実にもったいない。なぜ、そんなもったいないことをするかといえば、出力抑制しなければ停電する恐れがあったからだ。
先日の地震をきっかけとした北海道ブラックアウトによって、電力の需給バランスが崩れると大規模障害に陥る危険があることが一般にも知られるようになった。もちろん、このような大規模障害がこれまで発生しなかったのは昔から電力会社が同時同量を維持してきたためである。主に火力発電所が需要に応じて出力を調整することで、社会が必要とする電力に対してちょうどいい量の電力が供給されてきた。需要側の都合に供給側が合わせてきたわけだ。

太陽光や風力といった不安定な自然エネルギーに頼った社会を構築するとなると、供給側の不安定さを織り込んだ電力網を作らなくてはならない。かといって、天気が悪くなったら強制的に消費電力を抑えるシステムなど非現実的だろう。仕事中に急にパソコンの電源が切れたり、製造装置が止まったら仕事にならない。結局のところ、需要側に合わせて供給側が動く立場は変えられない。

再生可能エネルギーを利用した発電が不安定というならば、電気を貯めておく仕組みを取り入れればいいと考えるだろう。ところが、電力を大規模かつ安価に貯蔵できる技術はなかった。それゆえに需要に合わせて同時同量の電力をつくるしかなかった。「なかった」と過去形で書いているのは、ようやく電気を貯めることができるようになりつつあるためだ。リチウムイオン電池の大容量化と低廉化はまさにその象徴である。現在のEVブームは、ようやく車を動かすくらいの大電力を蓄えられる電池が登場したことに端を発する。再生可能エネルギーの出力安定化のような電力網に接続する蓄電池あれば、EV用の電池がエネルギー密度を重視するのに対して、容量とコスト (耐久性を含む) に重きが置かれる。日本ガイシのNAS電池住友電工のレドックスフロー電池といった別方式の蓄電池が使われることもあれば、フライホイールを使って物理的に電力を貯蔵する方式も実証試験が行われている。いまさら騒ぐほどのことでもなく、太陽光や風力は不安定であるという前提のもとで、数十年前から地道な技術開発が行われてきている。おかげで、ようやく蓄電システムのコストが現実的なところまで下がってきた。

ここで冒頭のニュースを振り返ってみると、ある意味では滑稽な感じがするが、実は良いニュースであることがわかる。太陽光発電が普及すれば、それこそ火力発電も原子力発電も要らないくらいに普及すれば、必ず太陽光発電の出力調整を必要とする。逆に、既存の発電所の出力調整で間に合っているうちは、太陽光発電の量が小さいことを意味している。九州で太陽光発電の出力抑制が発動したのは、それだけ大規模に太陽光発電が普及した何よりの証拠といえる。ただ、残念なことに、出力抑制が必要になることなど目に見えているのにも関わらず、十分な蓄電池システムが予め整備されていなかった。九州電力は蓄電池と揚水発電、さらには本州への送電によって昼間の余剰発電量を吸収したが、それでも容量が足りなかった。だが、これは仕方ないことではある。人は痛い目にあわないと、対策をしない。

メガソーラーを設置するような大規模太陽光発電事業者は営利のために太陽光発電をしている。蓄電システムの設置は余計なコストであるから設置しないというのが合理的な判断だ。営利目的だからこそ事業者が勝手に規模を拡大してくれるので、営利目的が悪いわけではない。営利目的の事業者が社会にとって望ましいふるまいをするようなルール作りこそが必要なのである。まさに固定価格買取制度が太陽光発電を普及させたように。その意味でいえば、蓄電システムを設置しなければ、蓄電のコスト以上に利益が目減りする状況になればこそ、蓄電システムを備えた太陽光発電所が普及することになる。九州はその段階に達しつつある。

再生可能エネルギーをより一段と普及させるには、蓄電を含む配送電のシステムを構築することが不可欠だ。そして、日本が特に遅れているわけではない。この界隈ではよく知られているように、ドイツがあれだけ再生可能エネルギーを導入できたのは、欧州全体に広がる電力網を通じて近隣諸国に「売電」することができ、逆に天候が悪いときは買電することで同時同量の帳尻を合わせることができたためだ。ドイツ国内で脱原発といいながらフランスの原発から電力供給を受けている。また、電力需要地である南部の工業地帯と風力発電が盛んな北部をつなぐ電線が貧弱で、ドイツ国内でバランスが取れていないことも問題となっている。このように再生可能エネルギー先進国とみなされるドイツでさえ、難しさをかみしめつつ進んでいる。日本も着実に前進しているからこそ、新しい問題にぶつかっているといえよう。

ところで、冒頭の記事にはドイツの例として余剰電力で水素を製造し、天然ガスのパイプラインに混合させる利用法が紹介されていた。この例から日本でも水素の状態で蓄えることが良いという考えが浮かぶだろう。なんといっても日本にはFCVの旗振り役であるトヨタがいる。しかし、水素ガスは貯蔵性が決して良くないことは覚えておく必要がある。水素はあまりにも小さいため、金属製の容器では金属原子間に入り込んでしまうことが知られている。このためFCVの水素タンクは炭素繊維で作られている。水素を製造して、貯蔵する技術については、製油所のような大規模な水素ガス取り扱い施設での水素の扱いが参考になるかもしれない。

エネルギー転換への一里塚 九州における太陽光発電出力抑制」への4件のフィードバック

  1. 中野

    今後、メガソーラーのような大規模太陽光発電事業者は蓄電システムの設置を義務化すれば良いのではないかと考えます。

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    1. dekkaino 投稿作成者

      蓄電システムの設置義務化は将来的に不可避でしょうね。一定程度以上の蓄電システムの設置を条件に買い取り価格を優遇したり、逆に蓄電システムがないと買い取り価格を下げるといった形が考えられます。
      あるいは、電力網の安定化という公益性の高い目的からして、送配電業者に毎年蓄電システムや連携線の設備投資を義務付けるのと同時に太陽光や風力といった不安定電源の事業者に委託料を支払わせるとか。送配電業者が自発的に設備投資をする環境づくりが求められます。
      現状は再エネ賦課金で利用者に広く負担させているので、配送電設備への投資も再エネ賦課金から出させるようにするのでしょうか。

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  2. sox

    記事中では、水素のままで貯蔵するのではなく、天然ガス中に保存する、とあるのではないでしょうか?
    なので、金属中に水素分子が入り込むことは無いと思われます。
    また、水素と二酸化炭素で、メタンに変えて利用する、とも書かれているので、純水素貯蔵ではないと思います。
    トルエン中に水素を取り込み、貯蔵、配送する、という別の記事も見たことがあります。

    トヨタですが、FCVを宣伝しているだけで、水素の製造、貯蔵、配送のどれも、具体的な取組は見えないですね。私の勉強不足だと思いますが。

    良し悪しはともかく、アップルが、協力企業も含めて、全世界で再生可能エネルギーの利用促進や、排水処理・雇用環境改善を進めていたりするのて、日本の大企業の姿勢には残念な気がします。

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    1. dekkaino 投稿作成者

      ご指摘の通り、参照した東洋経済の記事では天然ガスに水素ガスを混ぜるだけです。混ぜるだけということは、別の物質に変わるわけではないので、パイプラインなりタンクなりの中にある水素の分子数は変わらず、結局は水素に曝されていることになります。これは分圧という概念でよく説明されます。パイプラインの耐久性については九州での実証実験や海外の産業利用事例があるようなので、杞憂で済むかもしれません。
      東洋経済の記事では、天然ガスに水素を混合するだけの場合も、水素と二酸化炭素からメタン(天然ガスの主成分)を合成したうえで天然ガスに混合する場合も、それぞれ行われていると書かれています。空気中の二酸化炭素でもいいですが、CCSと組み合わせれば一石二鳥ですね。

      トルエンに水素を付加させて、メチルシクロヘキサンの状態で貯蔵・運搬すれば低コスト化が図れるという技術は千代田化工が開発済みと発表しています。
      千代田化工ののほかにも、水素の貯蔵や配送といった分野ではガス業界やプラントエンジニアリング業界で研究開発がなされています。たとえば、FCV向け水素ステーションでは岩谷産業の名前がよく出てきます。
      国内での水素の製造は、いまのところコスト的に副生水素を使うほかありませんので、プレイヤーとしてはJX(ENEOS)あたりでしょう。

      究極の姿である自然エネルギーから水素を製造するというのは、ようやく実験室レベルで効率が上向いてきたところです。商用化など数十年先の技術です。
      ちなみに豊田中央研究所でも人工光合成は研究されています。
      光触媒による人工光合成は本多-藤嶋効果の発見以来40年にわたって研究されてきて、ようやく効率が多少良くなってきたというレベルです。現実性は核融合発電と同じようなものです。ブレイクスルーがあれば話は別ですが。

      エネルギーの話はコストが命なので、たくさん使われて、技術的に成熟し、コストが下がる、というサイクルを回すプレイヤーが登場してほしいものです。
      単に太陽電池をたくさん作ればいいという時代は終わり、エネルギー供給システム全体として再構築が必要な段階に突入したという意味で、「エネルギー転換への一里塚」というタイトルをつけました。

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